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さよなら、床さん

床ヌプリさんの葬儀、これにて終了。お疲れ様でした。

通夜はみんなで見た赤塚不二夫と床さんの番組のシマフクロウの神話みたいに美しいエピソード、うちのお父さんと藤戸竹喜さんの歌った熊彫りさんの歌、その歌に象徴されるような荒削りでエネルギッシュな一つの時代が終わりつつあるような、あったかくて懐かしいような、なんだか泣けてくるようなその場の雰囲気…通夜の晩の事はちょっと忘れられそうにないかもしれない。まあ一番初めに酔って寝ちゃったけどね…

同世代のエカシやフチたち、特にあの時代の熊彫りさんたちの中から名をあげ、床さんの死によりただ一人残ったレジェンド職人、藤戸さんの心情を、俺なんぞには勿論わかろうはずもないけれど、でもそういった一緒に阿寒湖アイヌコタンを作ってきた人々が一人、また一人と祖霊たちの元へ旅立って行く中、何を思うのだろうか、と想像するともう、なんていうか言葉にならない。

今日の告別式でデボさん松田さんのやったエムシリムセも、心に迫るものがあったなぁ。偉大な先輩、床さんに習ったエムシリムセを、その葬儀の場で舞うことになったその胸中。

州生アニキ。我々も頑張りましょう。歴史をつないで行きましょう。
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追悼 今吉エカシ

阿寒湖アイヌコタンの長老
秋辺今吉エカシが
先日先祖達の住む場所へと旅立たれた。
私はコタンの末席の新参者ではあるが
自分なりに
思い出と想いを記してみたい。

1998年の夏に北海道を旅していた私は
インドで出会った今の妻のアドレスを頼りに
阿寒湖アイヌコタンへとやって来た。

当時の夏の阿寒湖は
今では比べ物にならないほどに人でごった返し
毎晩お祭りでもやっているような盛況ぶりだった。

各土産物屋もホテルも
かき入れ時に
盛んにシーズンバイトを雇って商売に勤しんでいて
阿寒湖はいろんな人が入り乱れて、
活気に溢れていた。

全国から集まる若いバイトの奴らと仲良くなった私は
そのままズルズルとコタンのライダーハウスに沈没。
北海道の短くて熱い夏を
新しい一期一会の友達達と
日々楽しく過ごしていた。

しかし資金が底をつく。
私は八月の終わりに帰る事にした。
しかしひょんな事から
大根農家の住み込みバイトがある事を紹介される。
帰る前に
お世話になった皆に寿司を奢って帰ろうと思い
私はヒッチハイクで農家のある標茶町へと向かった。

阿寒湖を出て
最初に乗せてくれた車を運転していたのは
豊かな髭を蓄えた威厳のあるアイヌの老人だった。
阿寒湖のコタンで何度か見かけた事があった。
それが私と今吉さんとの初対面だった。

礼を言って乗り込む。
妻や妻の一家以外のコタンの人と
こうして話すのは初めてだった。
緊張して助手席に座っていると
何者かを問われたので
自分は岩手から来た旅人で
というとエカシは
おおアテルイの所か
という。
嬉しくなって
そうなんです
僕のとこの先祖が大和朝廷に負けなければ
北海道はこうなってなかったかと思うと
アイヌの皆さんには申し訳ないです
と答えると
エカシはあっはっはっはと笑った。

それからなんだか打ち解けて
いろいろな話をしているうちに
お前は何処に行きたいのかと聞かれたので
標茶までと答えると
暇だからそこまで連れて行ってやる
と言ってくれた。
おまけに途中の弟子屈で蕎麦をご馳走してくれて
さらに色々な話を教えてくれた。

釧路川の五十石の地名の由来。
若い日に働いた
釧路川を遡る船を馬と一緒に引っ張る辛い仕事の話。
当時のアイヌは仕事を選ぶ余裕などなかった。
標茶に差し掛かり
どこまでも広がるなだらかな畑の景色に
これこそ北海道だなぁ
とばかりに感激している私に
俺の若い頃はここは一面の原始林だった。
切れば金になるし
そのあとは畑になる。
だからあっという間にこうなった。
そうエカシは教えてくれた。
絶句した。
あの時の事は忘れられない。

標茶の農家についた別れの時
エカシは
戻ってきたら俺の店を手伝わないか
と言ってくれたが
帰るつもりだった私は
丁重にお断りをした。
でもとても嬉しかった。

その後妻と結婚し
コタンの住民となった後は
今吉さんと接する機会はあまりなかった。
あちらはコタンのリーダー
こっちは新入りの和人の若造である。
思えばあの時は
偶然の出会いがあればこその会話だったのだろう。
それでも
どこの誰ともしれない私に
働かないかと言ってくれた事を
聞かせてくれた色々な大事な話を
私は忘れない。

今吉さんがアイヌモシリからいなくなり
これからコタンはどうなるのだろうか。
生きているものはいつか死ぬ。
例えば森の中の古くて大きな木のように
存在が大きければ
倒れた時の影響もまた大きい。

その木の下にいた若木の上には
雨も風も雪も容赦なく降りそそぐだろう。
後に続くものの真価が問われる。
空に空いた大きな穴から
遮るものなく照らす太陽の光を浴びて
残されたものは強くならなければなるまい。
大木から受け継いだ養分を身体の一部として。
記憶と伝承を後に伝え
彼等の作り上げたコタンを守るために。

今吉さん
今までご苦労様でした。
良い旅を。

エカシとカケスと俺

まるで秋アジの密漁のようにひっそりと、息をころして再開。
すっかり紅葉も終わったな~。
同様に観光シーズンも終わり、
すっかり葉の落ちた森のように渋い静けさのコタンとポロンノより、
ダラダラと贈ろう、『ポロンノ亭日常』。

このところ天気もお日柄もいい調子の阿寒湖アイヌコタン。
店を開け、前のベンチで一休み、
日課のように、となりの腕利き職人・ヒラマさんと会話すりゃ、
二言おきには「ヒマだな~」だの「あ~、あったけ~な~」だの、
「山にいきて~な~」だの「釣りして~な~」だの、
もしホントにそうなら店を閉めりゃあよさそうなものだが、
なにせ商いは厭きないでやらなければならない。
店を閉めちゃあ金にはならぬ。
まるで「まちぼうけ」の歌の如く、
他力本願で後ろ向きな期待と共に、店の奥で今日もお客を待ちぼうけ。

するとやってくるのはY本エカシ。
エカシは超物知りで、色んなことを教えてくれる。
愛のこもったポロンノコーヒーとエコーがなけりゃあ夜も明けない御仁でもある。
まさに「ポロンノ・サッチキ・ソモシリ・ペケレ」である。(注・冗談です)
今のこの季節は、エカシは朝起きてまず山へ行きパトロール、
キノコが採れたら、一袋お土産に持参してご来店してくれる。
助かります。本当にイヤイライケレ~。
ちなみに今日の収穫はシロシメジとムラサキシメジ。
両者とも、炊き込みご飯などにはもう最高。

「おい、今日はいっぱい採れたぞ」
「おお、さすがですエカシ」
「しかしカケスはえらいな」
「なにがすか?」
「山に入ったらカケスが鳴いててな」
「変な声ですよね」
「そうなんだよ。でな、どっから鳴いてんだべ、と思って見たら、こっちの方に飛んで来るんだ」
「へー、それは珍しいですね」
(注・カケスはけっこう警戒心が強く、見ようと思って近づくと逃げられてしまいがちである)
「そんで一mぐらい離れたとこにとまるんだわ」
「ほー」
「それでまたぱって飛んだと思ったらな、またちょっと離れたとこにとまるんだ」
「ほー」
「で、これは何か教えようとしてんだなって思ったら、シメジがばーっとあるんだ」
「すげー。カケスえらいっすね」
「ああ、えらいんだ」

エカシは前にも、似たような逸話を持っていて、
かつて彼は、雄阿寒岳のふもとの原生林で、
ポンチカップ・めんこチカップのゴジュウカラの歌声に、
高価なカバノアナタケがある場所を教えてもらったことがあるという。

わーお。グレート。

現代においては、これぞまさに、達人にしか辿りつけぬ境地といえる。
自己を取り巻くカムイワールドへ、自然に、感覚的に開かれていなければ、
せっかくのカムイからの助言も、ただの風景やノイズとして意識の隅を通るだけ。
すごい!Y本さん!普段はぜんぜんそんな風に見えないのに!(注・冗談です)

お喋りはその後、いつものようなアイヌ四方山話へと移っていったが、
しかし話しながらも、俺の頭の中で、思考は一箇所をぐるぐると回り続けた。
俺もいつの日か、こんな境地に達する事が出来るのだろうか。
カムイ宇宙の一要素として、熊やエゾリスや粘菌のように森の中で這いまわり、
食いつ食われつする生き物として天地の間にあることが出来るのか。
それともか、どこまで行っても俺は、山に行って資源を採取するだけの現代人なのか。
実はその日の午後には、その答えがわかるのだった。

エカシは帰り、それでもパラパラと、有難い事に複数の来店があり、
そして午後の三時頃には、音楽と空気しかない店内である。
そんな時、勝ち組店主ならば、
『よし、より良い未来の為、あれとこれを改善しよう。商品開発をしよう』
などと無人タイムを経済的に善用するというところまでは、なんとなく気付いちゃいるが、
しかし『わかる』と『出来る』は別問題なので、
俺はとりあえず、シイタケ・マイタケを探しに、気になっているナラの林に行く事にした。

二十分ほどで到着し、一時間あまりも探し回るのだが、キノコの陰も形もない。
深い笹わらの中、しかも背丈ほどの松の幼木のせいで視界は悪く、しかも夕方でもう薄暗い。
しかも今年はドングリのなりが最高。
熊にとっての楽園の森の中、夕日に照らされ、自分の吐く荒い息がうるさいぐらいにびびっている。
でもやつらはどこかで俺を見ている気がする。
だから『俺はここにいるぞ』とあげる声にも平静を装う。
が、突然、応えるように山の上から雄鹿が威嚇の声をあげる。ドキッとして全身総毛立つ。
すぐに、自分の醜態にむかつきながら気付く。
俺はびびりすぎだ。
俺は鹿にもなめられている。
周りもぜんぜん見えてねぇ。
腹は立つが、でももう精神的に限界だったので、車の方に歩き出した。

その時、沢の向こう側の一本の大きなナラの枝の上に、一羽の鳥がいるのが見えた。
カケスだ。
ひとなきした後、そのカケスは、なんとこっちへ飛んでくる。
俺の横五mほどを滑空し、後ろの笹わらの中へ、なんとガサガサッと舞い降りた。
そしてその側には、なんともいいナラがそびえ立っている。
さっきも周りを調べたやつだけど、でも、でもまさか。
ドキドキしながら、俺はその場所へと近寄った。

でも、それだけの事だった。
なーんもなかったっす。
その周りのナラも、もっかい見たけど、やっぱなかったっす。
手ぶらで帰りました。
俺のようなトーシロは、カケスにもからかわれるレベルでした。
でも一瞬、いい夢見れたっす。ありがとうカケス。
これからも頑張るよ、俺。

Sフチ列伝

今夜のポロンノ商業戦線は完敗だった。

店前に新設したステキ作業スペース(略してSSS)からアホ面でコタンストリートを眺めれば、
夜の日課である千本タイマツ行進の参加者の皆さんが、わらわらとコタンストリートにいらっしゃる。
浴衣を着たその人々の声に耳を澄ませば、北関東方面と台湾の方々が多いようだ。

しかしながら、ポロンノの前に何かバリヤーでもあるのか、
なぜか皆さん、ポロンノの方を見ようともしない人がほとんどである。
まして、まして入店する人などは・・・言わぬがフラワー。
ストリートの賑わいと、MJPはBig joeのクールな声が流れる店内との、このギャップよ。嗚呼。
まさに静と動。陰と陽。北斗と南斗。王様と古事記。ロスチャイルドとネットカフェ難民・・・

しかしこんな時には焦りは禁物だ。
俺には長年の経験から導き出された必勝戦略がある。撃ちて死ヤーマン、いや、止まん。
『SSSで一心不乱に作業、すると美女観光客(一応)が興味をそそられ、来店。
「何を作ってはるんですか」なんてとこから会話に花が、以下略。』というのがそのシナリオである。
かくして俺は、かねてからの懸案であるポロンノマーク作りにいそしんだ。

・・・・・作業開始から三十分後、ようやく人の気配が。
顔を上げれば、俺の存在に気付かずに店の奥へと歩く、ムックリマスター・Sフチの背中。
「こんばんわ~」
するとSフチ、飛び上がって、
「あちょこん! (注・アイヌの女性が驚いた時の表現)
そんなトコに座ってたのかい! びっくりさせないでよ。誰もいないのかと思った」
・・・どうも必勝戦略には根本的欠陥があったようだ。

フチはこの時間帯、うちの店に現れ、話し相手になってくれる事がよくある。
逆に俺のほうがフチの店に出かける場合もよくある。
コタンの坂の下の突き当たりにあるフチの店からは、コタンの動向が良く見えて面白い。
かかってる音楽もレアな口琴のCDであることが多く、つい聴きいってしまう。
おまけに面白い物がいっぱい無造作に売っているので、いつ行っても厭きない。
店の感じも、フチの人柄もとてもいい。
それなのに、あまりお客さんはやってこないのだった。
俺だったら絶対ここに来るだろうにな~。
なんでだろう、といつも思う。

彼女は俺にとり、山菜採りの最初の師匠の一人でもあり、
ここに来たばかりの頃は、よく一緒に野山にいって、いろいろな事を教えてもらった。
なにげない会話の中から、その山菜のアイヌ語の名前やら、それにまつわる逸話、
食べ方、加工法、どんな場所にあるか、などなど、本当に色々教わった。

個人的に一番の驚きは、自然への接し方だった。
そこにトドマツの幼木があれば、彼女は「あら、めんこいね~、元気に生えるんだよ」なんていう。
倒れた木があれば、なでながら「よく頑張って立ってたね~」などという。
よく育った立派なキトピロがあれば、「よくここまで育ったね、ありがとうね」といっていただく。
最初は、冗談の一種的な独り言かと思ったが、
そのうち俺は、それが自分を育む自然に対する感謝から、自然に出る言葉だと悟った。
(なんて書いたが、その行為をもっと的確に表現したいが、難しい)
彼女だけではなく、妻や、みーばーや、その母である姉茶のばあちゃんも自然にそれを行なう。
以来、俺もなるべくそういった態度で接しようとやってはいるが、やっぱなんか不自然。

アイヌの魂に根ざした、母から娘へと女性たちに伝わる、
言葉に出来ない良質の『何か』。
それは多分、やはり妻から娘へと伝えられていくだろう

しかし俺は、父から息子へと伝えられるアイヌプリを、伝えられるだろうか。
東北弁だったら、なんぼかおすえられるんだけんとな。

今夜はフチとの世間話の中から、ピヤパトノト(ヒエのどぶろく)の作り方を教えてもらった。
前から聞いてみたかったんだよね。飲んでみたいな~。
世間話が一段落し、無人の店内から一緒に店の外に出たら、
オンネチセ裏の会場から、甲高い歌声と和太鼓の音が聞こえてくる
毎日開催のイベント・『北の大地に暑い風が吹く』の琉球発ミクスチャーサウンドである。
イベントは七月一日から始まり八月いっぱい続き、
九月の頭からは、今度は『モシリ』の衝撃的前衛アイヌ舞踊公演が始まる。
四十日後、それが終わったら年末まで『イヨマンテの火祭り』である。
毎夜イベントの絨毯爆撃の阿寒湖温泉。
Sフチは音のほうを一瞥して、「じゃあね~」と店へと帰っていった。
観光産業システムが何をやろうと変わりなく、サハの口琴が流れる店の中で、
Sフチは刺繍をしたり、アイヌの本を読んだりしながら、お客さんを迎えるのだ。
いつまでも元気でいてほしい。

さて、うちの方はといえば、その後ほどなく店を閉め、今これを書いている。
まあ商売、百戦百勝って訳にはいきませんわな。
いいさ今日は。ピヤパトノトの作り方もわかったし・・・・・
プロフィール

ポロンノ亭

Author:ポロンノ亭
北海道東部の超グレートな森に囲まれた神秘の湖
『アカントー』。
そのほとりにある、ちっぽけなドラクエのような町
『阿寒湖温泉』。
そしてそのいっかくにある、
キャラ立ちしまくりの住人が生息する
『アイヌコタン』・・・・・。

そしてその片隅にある、
ナイスなアイヌ料理屋『ポロンノ』の怠けマスオさん店長。

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